甑岩

周囲約40m・高さ10mの大怪石(花崗岩)である一大霊岩です。
酒米を蒸す時に使う「甑(こしき)」という道具に似ていることから「甑岩」と名づけられました。
また、岩上に雑木が生じた姿より、社名・町名も起こりました。

御祭神は市寸島比売命(イチキシマヒメ)で、女性守護・安産・子授けの神さまとして祀られています。
俗に辨財天と称せられ、音楽や芸術の才能を伸ばし、弁知(知恵)の神、更には縁結びや、財宝をもたらす金運の美女の代名詞である「幸福の女神」、七福神の一として御神徳の高い神さまであることから、子どもの成長や芸能の上達を祈る神さまとしても信仰を集めています。

摂津名所図絵や摂津志によると 「甑岩神祠は越木岩村にあり祭神巨岩にして倚疊甑(きじょうこしき)の如し、此地の産土神(うぶすながみ)とす」
と記してあるように霊験あらたかな霊岩です。

(出展:越木岩神社ホームページ

 

越木岩神社

本殿の祭神は明暦2年(1656年)円満寺の僧 教順が西宮神社から勧請した、蛭児大神(ひるこおおかみ、戎神)である。この周辺地域に村が形成されていく過程で、地域の繁栄のために西宮神社から蛭子大神が勧請されたと思われる。 しかし、元々は当地にある「甑岩」等の磐座を祀ったもので、自然崇拝が中心であった、所謂古代信仰の時代、当地から北山・目神山や六甲山を一大霊場とした磐座・磐境祭祀のランドマーク・霊岩として「甑岩」が祀られたと考えられている。

当地は、積み出し港の名を取った御影石(花崗岩)の産地としても有名で、大坂城築城の際に甑岩を石工が割ろうとしたが、割れ目から鶏鳴が湧き上がり、白煙が立ちそれは色を変えながら熱気となり吹き出し、その熱気は不思議な力をもっていて石切職人達は手足をふるわせ、苦しみもだえ、斜面を転がり落ち作業を断念した、との伝説がある。また、徳川氏の大阪城修築(元和6年〜寛永5年:1620年〜1628年)の際、池田備中守長幸(備中松山城主)の家紋が刻まれた当時の石の破片が付近に残っている。(西宮ふるさと民話「こしき岩のいかり」)

境内は約7700m²あり、その森は1974年に兵庫県指定天然記念物ならびに西宮市景観保護樹林に指定され、兵庫県天然記念物である「越木岩神社社叢林」として保護されている。 この森は、ヒメユズリハを主要構成種とする樹林で、高木層はヒメユズリハをはじめモッコク・クロバイ・ヤマモモ等で構成されています。亜高木層としてはヤブツバキ・クロバイ・アラカシ・ネズミモチ等、低木層はアラカシ・サカキ・クロバイ・イヌビワ・ヒサカキ等で構成されています。洪積台地上に発達した典型的な暖帯林で、二百数十本のヒメユズリハが群生しています。ヒメユズリハが優占する樹林は、県下では数少なく学術的価値は極めて高いようである。

(出典:ウィキペディア